なぜ社会活動家に?
私は貧乏は自業自得だと考えていました。9歳から親の教育方針でタイに移住しましたが、バンコクで物乞いを見るたびに「一日中物乞いをして働きにいかない、努力しないから貧乏になるんだ」と思うばかりでした。14歳の時に父のインド出張に無理やり連れていかれ、そこで5ヶ国語を話す物乞いの少年、アルソン君に出会いました。彼が私の活動の原点です。
彼は流暢な日本語を話し、英語はペラペラでした。「観光客から覚えた」と言われ驚く私に、彼はこう説明しました。「僕たちには毎日ヤクザに課せられる物乞いのノルマがあって、達成できない人は臓器売買に連れていかれる。僕はノルマより多く物乞いして、足りていない仲間にこっそり分けるんだ。言葉が話せた方が物乞いがうまくいくと気づいてから、一生懸命勉強してるんだ」。たった7歳の子にそう説明され、そんな世界が現実にあったのだと衝撃を受けました。別れ際、お金を渡そうとした私に彼は「お金はいらないから、いつか僕たちをここから連れ出してほしい。学校に行ってみたいな」と言いました。帰国後、貧乏が自業自得なんてとんだ勘違いだったと気づき、国内外の孤児院、スラム、無料塾、NPOなどでボランティアをするようになりました。
なぜボーダレスファウンデーション?
中学3年のある日、母が借金を作ってしまい、学費未納で突然退学処分に。離婚が決まり日本へ緊急帰国、母は子どもを残していなくなりました。身体の悪い父の年収は200万円未満、私には3人の弟がいました。「まさか自分が貧困になるなんて」と思った時、自分が今まで貧困問題をこんなにも他人事に思っていたと反省しました。「ボランティア(社会貢献)で稼ぐんだ」と決めた私は、高校3年で資本金30万円で起業し、売上の5%を寄付するTobira Cafeを立ち上げました。
高校生の頃からのメンターに「Tobira Cafeが3年でようやく黒字になりました」と報告に行くと、こう問いかけられました。「…でもな、コーヒー売ってて世界は変わるんか?イイコトをして満足なのか、本当に世界を変えたいのか、どっちなんや?」。その言葉に心を揺さぶられ、もう一度本気で「世界を変える事業づくり」に挑戦しようと決意しました。60万人の雇用創出を行うDrishtee Foundationでのインターンなどを重ね、それぞれの課題に向き合う人々が連携することが最も効果的な解決策だと確信したころ、田口さんに出会い、ボーダレスファウンデーションの立ち上げに取り組ませていただけることになりました。
次のチャレンジは?
限られた人生の時間を、世界平和の実現のために全力で使いたいです。その結果、一人でも多くの子どもの役に立てるなら、それ以上の喜びはありません。人の役に立つためには、まずは自分が成長し続けるしかない。大きな目標を立て、日々挑戦し、学び続けることが私の使命だと思っています。
直近の目標は、目の前の困っている人を助けることにとどまらず、「大胆な社会改革を描きながら、目の前の課題にも真摯に向き合うスキルを習得すること」です。世界を変える大きな事業を、ファウンデーションに関わってくださる皆様と実現したい。社会をよりよくする非営利サービスがこれからたくさん立ち上がっていくことにワクワクしています。これからも挑戦を続けます。応援をよろしくお願いいたします。