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podcast

NPOの新しい可能性を Podcastで聞く

Coming Soon NPO法人ボーダレスファウンデーション理事 山田 果凛

わたしのHOPE
他者や未来を想う 愛に溢れた世界

「誰かのため」「未来のため」と思う気持ちは、きっと誰にでもある。そんな一人一人の「あたたかい心」を社会全体にめぐらせ、いつどこに生まれても、「全ての子供たちが自由に夢を描く社会」を創りたい。

HISTORY

これまでの歩み

  • 14

    貧困問題に興味を持ち、ボランティア活動を始める

    父とのインド旅行中に5か国語を話す物乞いの少年に出会い、「努力しないから貧乏なんだ」という思い込みが破壊され、ボランティア活動を開始。

  • 15

    家庭崩壊を経験し、貧困当事者になる

    親が借金を抱え離婚。伯母に姉弟で引き取られ、今度はいろんな人にボランティアしていただいた。「貧困問題」が他人事だった自分を猛反省。

  • 19

    TobiraCafeを起業

    ボランティアをしたいが、家庭の経済的理由もあり稼がないといけない。50人以上の人に相談し、ソーシャルビジネスという言葉に出会い、起業。

  • 23

    ボーダレスファウンデーション設立

    「世界を変える」会社づくりに再挑戦を決意した矢先に田口さんと出会い、ボーダレスファウンデーションを設立。

わたしの物語 わたしの物語

01

なぜ社会活動家に

私は貧乏は自業自得だと考えていました。
9歳から親の教育方針でタイに移住しましたが、バンコクで物乞いを見るたびに、「一日中物乞いをして働きにいかない、そうやってずっと座っていて、努力しないから貧乏になるんだ」と思うばかりでした。

14歳の時に父がインド出張に行くことになり、私は無理やり連れていかれました。
そこで5ヶ国語話す物乞いの少年、アルソン君に出会いました。

彼が私の活動の原点です。

アルソンくんと14歳の私

彼はかなり流暢な日本語を話し、英語はペラペラでした。
自分の歳の半分の子が自分よりも多くの言語を話す姿に衝撃を受けました。
さらに、「観光客から覚えた。」と言われ私はびっくりしました。

「何のために勉強しているの?」と尋ねたら、

「僕たちは毎日ヤクザに課せられる物乞いのノルマがあって、そのノルマが達成できない人は臓器売買に連れていかれるんだよ。僕はノルマより多く物乞いして、足りていない仲間にこっそり分けるんだ。言葉が話せた方が物乞いがうまく行くって気づいてから、一生懸命勉強してるんだ。」

と、たった7歳の子に説明されて、私はそんな世界が現実にあったんだと、衝撃を受け、返事ができませんでした。

別れ際にお金を渡そうとしたらアルソンくんは受け取ってくれず、
「お姉ちゃんからお金はいらないから、いつか僕たちをここから連れ出してほしい。学校に行ってみたいな。」と言われ、別れました。

ホテルに帰ってから「連れ出してあげたいけど、どうしたらいいのだろう。。。。」と悩む私に、「やっている人の元へ学びに行きなさい」と、父の知り合いの方がボランティア先を紹介してくださり、春休みにもう一度インドに行き、1ヶ月間孤児院に寝泊まりさせていただきました。

子供達と一緒に過ごした1ヶ月間の様子。

孤児院でのボランティアを通して、貧乏が自業自得なんてとんだ勘違いだったと気づいてから、国内外の孤児院、スラム、無料塾、福祉課、NPOなどでボランティアをさせていただくようになりました。


家庭崩壊と一社目の起業

学費が未納のため、山田さんは退学です。

インドから帰国して半年後、中学3年のある日、校長室に呼び出された私は突然退学処分を受けました。

母が借金を作ってしまっていました。

直ちに離婚が決まり、タイから日本へ緊急帰国することになりました。
その最中、母は子供を残してどこかへいなくなってしまいました。

緊急帰国当時の生活の様子。

その時、身体の悪い父の年収は200万円未満。私には3人の弟がいました。
父の姉に引き取ってもらったものの、家庭崩壊前に比べて生活は一変しました。

まさか自分が貧困になるなんて。。。。。と思った時、
自分は今まで「貧困問題」をこんなにも他人事に思っていたんだな、、とすごく反省しました。

貧乏生活は長く続き、長女であった私は「家族のために稼がなきゃ」というプレッシャーを感じていました。
でも私がやりたかったことはお金にならない「ボランティア(社会貢献)」。。。

ボランティア(社会貢献)で稼ぐんだ。

そう決めた私はさまざまなプログラムやコンテストに応募し、高校3年生の時に資本金30万円で起業し、売上の5%を寄付するTobira Cafeを立ち上げました。

現在店舗は閉店し、企業様の社員食堂へご提供させていただいております。

02

なぜボーダレスファウンデーション?

高校生の頃からお世話になっていたメンターに、「Tobira Cafeが3年かかってようやく黒字になりました」と報告に行きました。メンターはじっと私を見つめ、こう問いかけました。

「…でもな、コーヒー売ってて世界は変わるんか?あなたはイイコトをして満足なのか、それとも本当に世界を変えたいのか、どっちなんや?」

その言葉に心を揺さぶられ、私はもう一度、本気で「世界を変える事業づくり」に挑戦しようと決意しました。

3年間一生懸命取り組んでやっと黒字になった事業よりも大きな事業を、もう一度ゼロからやり直すには相当な覚悟が必要でした。大規模な社会事業を行う国内外の企業でインターンをさせていただきながら、「世界を変えるにはどうすればいいのか?」と日々考え続けました。

60万人の雇用創出を行うDrishtee Foundationにてインターンさせていただいた時の写真。

貧困問題は、あらゆる社会課題の原因にもなれば、また多様な社会課題の影響も受けています。
だからこそ、貧困に取り組むのと同じくらい、他の課題へのアプローチも重要。
そして、それぞれの課題に向き合う人々が連携することが、最も効果的な解決策になると確信しました。

まずは貧困分野の第一人者になって、それから他のアプローチも支援できるような枠組みを10年以内に作りたいと考えていたころ、ボーダレス・ジャパンの田口さんに出会い、ボーダレスファウンデーションの立ち上げに取り組ませていただけることになりました。

まだ一事業の結果も出せていない自分に対して、このような機会をくださったボーダレスの皆様と田口さんに感謝しています。

田口さんと立ち上げメンバーのすずちゃんとの写真。

03

次のチャレンジは?

限られた人生の時間を、世界平和の実現 のために全力で使いたいです。
その結果、一人でも多くの子どもの役に立てるなら、それ以上の喜びはありません。

人の役に立つためには、まずは自分が成長し続けるしかない。
大きな目標を立て、日々挑戦し、学び続けることが、私の使命だと思っています。

直近の個人的な目標は、単に目の前の困っている人を助けることにとどまらず、
「大胆な社会改革を描きながら、目の前の課題にも真摯に向き合うスキルを習得すること」です。

入社祝いでいただいたLIBのバッグとルンルンで出社する私。😀

世界を変える大きな事業をファウンデーションに関わってくださる皆様と実現したいです。社会をよりよくする非営利サービスがこれからファウンデーションでたくさん立ち上がっていくことにワクワクしております。これからも挑戦を続けます。ファウンデーションの応援をよろしくお願いいたします。

MEDIA / AWARD

メディア出演・受賞歴

PROFILE

山田 果凛

2001年兵庫県生まれ、タイと沖縄育ち。大阪大学人間科学部在籍。14才からボランティア活動を始め19才でTobiraCafeを起業。23才でボーダレスファウンデーションを設立。子どもの未来がいかに簡単に、子どもの力の及ばない世界で握りつぶされてしまうのかを当事者としても経験しているからこそ、「全ての子供たちが自由に夢を描く社会」創りに取り組む。World OMOSIROI Awardやハーバード模擬国連最優秀議員賞を受賞。

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